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STAFFのお客様の髪にまつわる日常を発信いたします。

二子新地駅前美容室『Anagram店長 西岡修平』の頭の中と、ハサミと髪の間の世界。

西岡マインドの原点環境が人と時代を作る。

大都会東京・世田谷の中でも著しい成長を遂げてきている街、二子玉川。そんな大都会に、つい「ホッ…」とした気持ちにさせてくれる多摩川が東京と神奈川の間を流れている。その二子玉川からたった一駅、多摩川をはさんで向かいの神奈川県川崎の高津区にある二子新地という小さな駅前でアンティーク調の隠れ家的な美容室『Anagram』で店長をしているのが西岡修平。これまた美容師としてはなかなか面白い経歴を持つ。

世の中に25万軒ほどあると言われる美容室。その数…コンビニの約3倍にものぼる。美容室と歯科医は都会ではどの駅にも多くひしめく時代になり、美容室はこの何年何十年もの間、日に日に増え続ける中でお客様をファンにしようと切磋琢磨してきていた。

まさにそれは戦国時代を思わせるようである…。

そんな美容戦国時代の中で、西岡が東京で美容師になったのが日韓W杯の2002年。渋谷の街では試合後に皆んながスクランブル交差点でハイタッチするのが当たり前になった時代。あの光景はこの時代が作り上げたと言ってもよい。小中高とサッカー部だった西岡もそれはそれは興奮した事だろう。

そんな西岡、幼少期は見渡す限り目の前には田んぼしかなかった。さすが鳥取である。鳥取県民全ての人口を合わせても世田谷区民にも及ばないらしい。ある意味さすがだ。「砂場はあってもスタバはない」とはうまく言ったものである。

遊び場はきまって自然の中だった。近所には小さい子も多く、皆んなのお兄ちゃん的存在で、よく田んぼや山で遊んでいた。自然が大好きなのは、きっとこの時培われたのだろう。アウトドア好きもきっとこの頃の影響だ。最近はソロキャンプをしたくてしかたないらしい…。そして、いつも気持ちが安らぐのは決まって自然を感じてる時らしい。特にマジックアワーのタイミングは格別のようだ。きっと穏やかな時間が性に合うんだろう。

反対の裏…。人の本気は何を生むのか。

そんな西岡が美容を志したのは高校の頃。お洒落が気になり、田舎者は色気づいた。自分の髪にコンプレックスがあったり、親の旧友であるご夫婦が理美容師で子どもの頃からお世話になっており、美容が意外と身近だった。

でも、その気持ちとは裏腹に親には反対された…。

それはそうである。高校浪人で進学校に行って建築家になると言っていたのが、いきなり「美容師」ときたからだ。親が反対するのはよくわかる。

なんと…そこで西岡がとった行動は、まさかの「家出」である。

なんとも考えもなしに勢いだけで出たものか。「あの時は若かった(笑)」そう、西岡はネタにする。あの頃の西岡的には美容を志すという夢が、それくらい本気だったという事だったのだろう。ただ、頑固で浅はかなのは確かであるが…。

でも、今では「両親は反対していたのではなく、心配だっただけ。自分の美容に対する本気度を知りたかったんだろうな…。親ならやっぱりどんな事であっても、子どもの事は応援したいし見捨てる事はしないはずだから…」と言う。西岡も一人娘の親になり、いろいろと感じる事も増えたのだろう。

そして、今では両親は一番の応援者で理解者だ。

その想いを理解したからこそ、どんなに大変でも、どんなに辛くても、西岡は美容をやり続けた。諦めなかった。

仲間いう名のライバル。生きる為に大切な事。

美容学校は大阪を選んだ。そこで西岡はかけがえのないものを手にしたのである。

時代はカリスマ美容師が世の中の美の最前線。美容学校も大盛況。これが後の美容室増加、美容戦国時代の始まりになる事を西岡はまだ知らない。

小中学校の幼なじみも最高の出会いだらけだったが、この美容学校の出会いは上京へと向けた西岡の後押しとなる人間ばかりだった。

それは、同じ夢を志す事の気持ち良さを教えてくれた仲間だった。

いつも西岡の周りには人がいた。西岡が寂しがりで人懐っこいというのもあるかもしれないが、仲間がいる事の大切さや、仲間を大切にするという事の大事さを、その仲間が改めて教えてくれたからなのだろう。

今ではその仲間達が、良き相談者でもあり、良きライバルになっている。

西岡は言う。「自分は人に恵まれている」と。

上京して表参道で働き始めて、そこでも同期や先輩後輩に恵まれて、いろんな経験をさせてもらったという。相変わらず出会いに感謝の日々だった。同期は特に最高の28人だった。行きつけの三茶の焼き鳥屋との出会いも最高の出会いの一つだった。

その表参道での経験の中でも、特に有名ファッション紙の専属モデルや有名読モのヘアメイクをさせてもらった事で、髪を切る以外のヘアとメイクで作る美の楽しさを勉強させてもらった。そのおかげで「デザイン力」「バランス」「見せ方」などは、今の西岡の強みにもなっている。

ただ、そんな華やかな経験の影で実は順風満帆ばかりではなかった。この後の経験で、継続する事の大変さと、粘り強さ・諦めない事の大切さを知る。

美容師兼アルバイターからの脱却。そして、地域密着型美容室店長へ…。

2011年。東日本大震災。その1年後、西岡は生活に困っていた。

最初働いた美容室から移籍した先の店がなくなってしまったのがきっかけだった。働くところをどうしようか…。悩んだ挙句、フリーで美容師を始める事にしたが急な展開で自力での生活は中々厳しかった。美容の…生きる事の…厳しさを体で感じた瞬間だった。

生活がどうしても厳しく、その日の飯にも辿り着けず…行きつけの店に「つけで飯を食べさせて欲しい」とお願いする程だった。そして西岡は一つの決断をする。

それは「美容師兼アルバイター」だった。

昼頃から美容室でお客様をこなし、それが終われば知り合いの焼き鳥屋に出勤。深夜まで働き帰るのは朝方で日が登り始める頃。しかも片道40分のチャリ通(バカなのか…?)まぁ、チャリ歴も長く乗り物好きがラッキーだった(笑)そんな環境下でも西岡は美容を諦める選択肢はなかったという。むしろ楽しかったという。

そこでも数々の出会いが、西岡の力になった。応援してくれる人、助けてくれる仲間が増えていったおかげで気持ちの糸が切れなかったかららしい。相変わらず人に恵まれていたんだなと感じる。同じ接客業という事もあり、経営論、接客など学ぶ事も多かった。それが今の西岡の考え方や接客に活かされているところもあるらしい。

そんな生活が1年近く過ぎようとしていた時、あるきっかけによって西岡の歯車が噛み始める事になる。それは…

その時から数年前の山田との出会いだった。

西岡はこの1年くらいの状況を山田にいつも相談していた。少しだけ一緒に働いた事もあり、とても話しやすく知恵や経験もあり、なにより懐の深さに惹かれていたからだろう。そんな人だった。

これから自分はどうやって生きていこうかなど、生き方の話をしているうちに、山田はこう言う…

「だったらAnagramを見てみないか?」

そう、山田は今一緒の船に乗っているボスである。この出会いが西岡にとって一番の出来事になった。そしてその後、美容師兼アルバイターは廃業。

二子新地駅前にある地域密着型隠れ家的美容室Anagram店長、西岡の始まりである。

何度も言うが、やはり西岡はつくづく人に恵まれている。

二子玉川となりの二子新地駅前の美容室で絆を作り続けて…その先は。

西岡がAnagramの店長になって早数年。都心の大型美容室と比べたら小さいかもしれないが、日本の美容室はほとんどがこれくらいのサイズ感が多く、だからこそ安心感も与えやすく、お客様との距離感も近く、今ではお客様もスタッフも増え、予約も取りにくい程にまでなっている。

大型店の経験もある西岡だが、このタイプの美容室の方が自分は生きると前々から思っていたらしく、まさにベストサロンだ。

西岡は、自分が人に恵まれてきた経験を持つからこそ「人は財産」だと考えている。お客様はもちろん、一緒に働くスタッフの事も同じだ。今のAnagramがあるのは間違いなく今いるスタッフが変わらずいてくれてるからだと力を込めて伝えてくれた。

美容師は技術屋だが根本は接客業。人と人との繋がりである。

人を知ることから始まるのが美容師で、そこにハサミが加わるから技術屋でデザイナーになる。髪の世界は人と同じ数だけ美容師の数だけデザインがあってそれは無限だ。そこがヘアデザイナーの面白みで創る事の醍醐味だと思う。たった美容師の「手」一つで髪に命が加わる。

AIやロボットの技術が発達し、人の手はどんどんとって変わってきている。将来、人が携わる仕事がなくなってくる職業もきっと何個も出てくるだろう。

価値というものが時代と共に変わってきている証拠だ。

美容も価値を求められる時代に来ていて、消費者の目や求める事もかなり高くなっている。だからこそ西岡は今美容師に大切なのは技術は当たり前として、なにより魅力的な人になる事だという。それが価値になる。そして、それが人という財産を、絆をこれから先作り続ける事に繋がるからだと。

そんな、技術だけでなく人との繋がりを大切にしている西岡に一度髪を切ってもらおうと思う。どんな話ができるか楽しみにしていよう。。。

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